龍昌寺(和合の鐘) |
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
龍昌寺(和合の鐘)並んでいる梵鐘が108。開運小槌で「過去、現在、未来」と3回撞けば、その澄んだ音色が重なり合い、人々の心を洗い清めるよう響きます。例年大晦日は、善男善女で賑わいます。所在地 〒379-0116 群馬県安中市安中 TEL 027-381-1348 そして、ここには、山田三川の墓があります。 山田三川は、超有名人です。 北海道好きの人間には、忘れることの出来ない大人物。 北海道の名付け親である松浦武四郎の親友です。 そして、幕末の志士でもあります。 山田三川(1804‐1862)は、江戸時代後期の儒者です。文化元年2月20日生まれました。そして彼は、伊勢国津藩の儒者、津阪東陽の甥にあたります。秀才として知られ、北海道は松前藩につかえましたが、松前藩のアイヌに対する非道をただそうとして失脚し、下総国水海道に隠棲しました。 しかし、親友、松浦武四郎の口利きもあって、水戸藩の徳川斉昭が召しかかえようとしましたが、山田三川は辞退しました。そこで斉昭は親交のあった安中藩主板倉勝明を紹介しました。この安中藩主板倉勝明は、開明君主で有名で、日本初のマラソン『安中遠足』をはじめ、数々の善政を行ったことで有名ですが、それを支えたのが、山田三川でした。ちなみに安中藩の武士たちは、自らは茅葺きの城で生活し、農民たちの生活を、手厚く保護しつつ、マラソンで体を鍛えたのです。 山田三川は、最初は藩儒として安中藩校の造士館の教授を勤めていましたが、やがて藩の役人としても活躍しました。実は、その自宅が安中に残っています。もちろん行ってきました。あとで、紹介しますが、貧しいものです。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||