駅舎記念館 |
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駅舎記念館軽井沢に到着したら、真っ先に行きたいのが、旧軽井沢駅舎記念館です。何故かと言いますと、旧軽井沢駅舎は、単なる駅舎ではないからです。皇室が良く利用なさった駅舎であり、各国の外交官や大使、日本に滞在する有名外国人たちが頻繁に利用する駅だったからです。軽井沢の文化は、鉄道とともに発展した文化であり、したがって駅には軽井沢の文化が凝縮して残されています。軽井沢の文化のかおりをてっとり早く、つかむのに旧軽井沢駅舎記念館ほど適切なものはありません。 1階の展示室は、草軽軽便鉄道を含む信越本線当時の鉄道関連物の展示コーナーとなっており、2階の貴賓室は歴史記念室として再現され、一部の建具やカーテンボックスなどは取り壊し前に保管しておいたものを補修し再使用しています。屋外には貴重な鉄道期間車輌(4輌)も展示しています。 「軽井沢とは何であるのか?」 というポイントを掴んで町にくり出すことをお薦めします。また、ここで7枚つづりの文化施設見学共通券を購入することをおすすめします。この共通券で、三笠ホテルなど、7つの施設を見学できて、たったの1400円です。1施設あたり200円とお得です。 これは何をしている写真かと言いますと、旧軽井沢駅1番線(現在は記念館からのみ入場可能)に保存してある車両の下をのぞき込んでいる姿なんですね。10000型(EC40型)電気機関車の下をのぞきこんでいます。これはドイツ製のわが国初の電気機関車だそうです。 さて、皇族方々が使われたという貴賓室です。見てのとおり、イスとテーブル以外の何もありません。皇族の方は、案外質素なんです。特に昭和天皇は質素でした。どのくらい質素だったかと言いますと、昭和天皇の御自宅は、たったの30坪程度のボロボロの民家であったくらいに質素だったのです。しかも、1階の15坪は侍従の部屋ですから、実質15坪だったといいます。なぜ、こんな事を私が知っているかと言いますと、私が前に勤めていた会社が、皇居のガラス清掃をやっていたからです。 もちろん公共施設としての宮殿は、それなりの施設ではありましたが、あれは公共施設です。昭和天皇の民家は、日本の平均的サラリーマンの民家より質素だったそうで、それを気にした宮内庁は、何度も昭和天皇に改築を進言したらしいのですが、昭和天皇はガンとして首をふらなかったそうです。皇居の緑が、少しでも減ることを嫌ったからです。昭和天皇の誕生日が、『緑の日』として記念されているのは、そういう理由なのかもしれません。
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