枡形の茶屋つがるや |
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枡形の茶屋つがるや宿場の西端部(京口)には桝形といって宿内の防衛のため見通しがきかないよう、道を鍵の手に曲げ石垣状の土手で囲ったものがありました。この桝形にあった茶屋のことです。現在追分の西入□に残されている「つがる屋」という屋号をもつ茶屋の建物が残っています。道路を直角に2度曲げて造る枡形は、攻めてくる敵の勢いをにぶらせる目的があった。城下町や宿場にはこうした形態の道路がよく見られる。国道が通り、枡形は形もなくなってしまい、茶屋の看板でそれを想像するのみです。枡形つがるやの建物は、中が一部土間になっていて、中山道を旅する人々はこの土間に草鞋をぬぎ1時の憩いの場とした。出桁造りの旅籠屋とよく似た建物である。 |
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