御代田町の一里塚

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御代田町の一里塚

 民家の裏に御代田の一里塚があります。街道からは見えにくいので路地の角に立っている標柱に注意して進んでください。路地を入ると見事な枝垂れ桜の巨木が立つ一里塚が眼に入ります。記録ではエノキ、ヒイラギ、クリとさまざまな樹があったそうです。その手前にも樹は生えていませんが、一里塚が並んでいます。



 中山道は徳川幕府が慶長7年(1602)に制定した街道の1つで、江戸と京都を結ぶ道でした。街道は現在の幹線道路です。新しく開かれる道は、古くからの道に重ねられることも多く、中山道はすでに開通していた木曽路を通ることから、木曽街道・木曽路とも呼ばれています。

 中山道は開かれた初めの頃、中仙道と書かれましたが、享保元年(1716)に「仙」は「山」に改められました。日本の中央部を通る山の道の意であるといいます。江戸日本橋を起点として京都までの距離は約139里(556キロメートル)、宿場の数が69あります。

 また、街道には一里塚を築くことが決められ、街道の両側に5間(約九メートル)四方の土盛がされました。一里(約4キロメートル)ごとに築かれる塚には土盛の上に榎や松を植え、旅人のための道しるべや休憩の場所としました。「くたびれたやつが見つける一里塚」という江戸時代の川柳もあります。