旧中込学校 |
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旧中込学校1875年(明治8)に建てられた洋風の校舎は、全国に現存する洋風学校建造物の中で最も古い建物。設計はアメリカに留学し、建築を学んだ地元出身の市川代治郎[いちかわだいじろう]氏。ルネッサンスの石造建築を彷彿させる玄関やバルコニー、屋根上の八角形の望楼などに、明治初期の木造洋風建築の手法を見ることができる。望楼には、時を告げる太鼓が吊されていることから太鼓楼の名が付いている。2階中廊下の丸窓には色鮮やかなステンドグラスが使用され、当時はギヤマン学校ともよばれていた。隣接する資料館には藩校、寺子屋以来の貴重な資料を展示している。 旧中込学校は明治8年に完成し、国内の学校建築のうち、現存する最古級の擬洋風建築物です。建築設計したのは、アメリカに渡り建築学を研究した地元出身の市川代治郎氏で、外部窓・内部間仕切りなどの一部に当初と変わった点もありますが、日本人の手による明治初期木造洋風建築の様式を知る重要な建物になっています。 中央の八角塔は、天井から太鼓を吊るして時を告げたので太鼓楼とよばれました。また、窓にガラスを使用していたことからギヤマン学校ともよばれ、開校当時は見学する人たちが連日あとを絶たなかったといわれています。 このようにして完成した学校も、大正のはじめころから狭くなり、大正8年に新校舎が建築され、その後の旧中込学校は、中込町役場、中込町公民館、中込支館、佐久市役所分室、佐久市開発公社と再利用されました。そして、 昭和44年に明治建築の学校として改変の比較的少ない建造物であることから重要文化財と国史跡に指定されました。 色鮮やかなステンドグラスの丸窓や各教室に展示された資料などがありますので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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