大伴神社

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大伴神社


 大伴神社社伝によれば、景行天皇40年の鎮座と言い伝えられています。大宝年間(70一〜4)諸国に牧場(官牧)が設定され、千曲川・鹿曲川に境した700メートル乃至800メートルの高原台地に牧草に適した草が繁茂し、その広さ3、000余町歩、これが朝廷直轄の牧場となり、所謂望月牧です。これを維持、管理する牧監が即ち早くこの地に土着して一大豪族となった大伴氏を祖とする望月氏が朝庭より任命され、長倉牧・塩野牧の長官をも望月氏が兼任しました。

 望月氏は大伴氏の子孫とも言われます。また『延喜式』内社「大伴神社」もその根拠の一つ。他にも佐久市周辺にあったとされる「伴野庄」 の「伴」も大伴氏から来ていると考える研究者もいるらしいです。『日本霊異記』には、佐久郡に隣接する小県郡嬢(をむな)里(上田市神川から東御市海野周辺ですか)には大伴連忍勝(おおとものむらじおしかつ)が氏寺を里の中につくったという記事があります。宝亀5年(774)のこととされますので、奈良時代の末に現在の上田市神川から東御市海野辺りに大伴を名乗る氏族がいたということになります。