忠治地蔵

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忠治地蔵

 国定忠治は、27歳のとき子分の復讐のため、二十数人で大戸の関所を破って信州へと向った。関所破りの罪で捕縛されたのは、四十歳のときであったから、十三年間も見逃されていたことになる。萩原進の『あがつま史帖』には、ヤクザの大親分ともなれば、多くは自己防衛のため二足のわらじをはいたが、忠治は最後まで二足のわらじを嫌い、権力に反抗し続けたからではないかとある。

 忠治慰霊碑入口 四方を竹矢来で囲んだ処刑場には、槍や刀を手にした300人もの役人が警戒にあたった。周囲には1500人もの農民が集まった。はるか遠方からやってきた者もいたようだ。天保の飢饉のとき、忠治が農民の救済に手を貸したことがあったからかもしれない。忠治地蔵尊には、観光バスが列をつくった。70年代の終わり頃までは土産物屋も繁昌していた。しかし、80年代に入ると、地蔵尊まえの信州街道を走る自家用車は以前の数十倍に増えたが、土産物屋の前に駐車する車はほとんどない。


大戸関所破りの罪でこの地で磔にされた国定忠治ですが、天明の大飢饉の際に米倉を開放するなど、大衆に愛され、処刑場所に地蔵が建てられました。