岩櫃城跡 |
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
岩櫃城跡岩櫃山(802メートル)の中腹に築城されたのが岩櫃城です。吾妻郡内における代表的な中世の城郭で、城主吾妻太郎の城として知られています。戦国時代は吾妻氏に代わって斎藤氏が数代にわたって居城しましたが、真田氏の手に落ちました。その後一国一城令によって廃城となりました。岩櫃山は、標高802メートルの岩山で、吾妻八景を代表する景勝地として知られています。奇岩、怪石からなる切り立った山容は、中国の南画のようですが、妙義山ほど難しい山ではありません。山頂からの眺望はすばらしく、眼下には東吾妻町や中之条町、晴れた日には富士山も望めます。 岩櫃城武田信玄の群馬進出に際し、1561年から信玄の傘下の国人真田幸隆による攻撃を受け、1563年に落城し、その後真田氏が城主となったと言われています。武田勝頼が織田信長によって新府城を追われたときに真田昌幸は勝頼に逃れてくるよう奨めたが叶わず武田氏は滅亡しました。その後も真田氏は生き延び豊臣秀吉に属し大名として存続しました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||