大笹関所跡・大笹街道・仁礼街道

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大笹関所跡・大笹街道・仁礼街道

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大笹関所跡

 寛文二年沼田薄主真田伊賀守により、大笹村に設置されたものです。明治2年廃関となるまで約200年余り沼田−吾妻−上田、高崎−仁礼−善光寺を結ぶ仁礼街道(大笹街道)の通行人や草津温泉の入湯客など北国街道の脇往還の通行人を取り締まりました。一部遺構である門扉はこの川を越えたところに復元されています。この門は廃関後取り壊されたが当時大笹の土屋源三郎氏の先祖が払い下げ秘蔵していたものを特に寄贈してもらい当時の絵図によって1946年復元したものです。旧大笹村の宿場のかつての賑わいを伝えています。
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大笹街道

 大笹街道は、善光寺平から小県郡の高原を経て高崎に至る道で、越後や善光寺平から上州を経て江戸へ出る重要な脇街道となっている。
 この街道は、千曲川端の福島宿から鮎川沿いにのぼり、仁礼宿を経て標高1600mの峰の原高原を横切り鳥居峠から上州大笹宿にいたる間、峠越えの厳しい道筋だった。しかし大笹街道は北国街道の脇往還として繁栄し、北信濃の種油が大量輸送された。

 善光寺平から江戸へ出る本街道(北国街道)より、大笹街道が利用されたのは、本街道に比べ宿数が少なく里程が短いので、宿継ぎに要する経費や荷いたみに優れ経済的で早いためだった。仁礼から沓掛まで2宿14里(北国街道では10宿20里)で短いため荷駄は専ら大笹経由で運ばれた。今の国道406と国道144号線。

 北国街道福島宿〜仁礼(須坂市)〜鳥居峠〜大笹の間は「山道八里」と称し、標高1000メートルを越える菅平高原を越える険しい道で、冬季は積雪吹雪のため交通不可能になる事が多かった。また、冬の厳しい時に峠越えの道筋で犠牲になった旅人や牛馬は数多く、その供養と旅の安全を祈って、仁礼宿の外れから、仁礼峠の頂上というべき峰の原の供養塔まで、約17kmの間に60体ほどの石仏がある。
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須坂市福島

 北国街道の宿場町。大笹街道の起点。鮎川段丘を上がり仁礼宿に至り、更に宇原川沿いをさかのぼり菅平高原に出て、鳥居峠を越え上野国大笹宿を経由して大戸村(群馬県吾妻町)から高崎に至る。大戸道という。

須坂市仁礼(にれ)

 荷駄の集積地として賑わった。中山道沓掛宿まで2宿14里。
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シリーズ嬬恋村の文化と自然 大笹関所

 上野国から北信濃国を経て越後国へ向かうルートは、古来より幾筋かあったが、その中で、鳥居峠を越えるいわゆる信州街道は、その代表的なものであった。特に戦国時代以降は、真田氏による北毛支配の体制が整うと、その戦略ルートとして、また、経済発展に伴う物資の交流あるいは草津温泉へのルートとして人馬の往来が多かった。

 この道筋にあたる大笹には、以前から沼田藩の私設の番所があったが、今から330余年前の寛文2年(1662)、沼田藩主真田伊賀守は、幕府の許可を得て関所を開設した。その場所は、大笹宿の西端、鹿籠川の断崖に臨んだ場所で、現在「史跡大笹関所跡」とされる所ではない。その対岸の国道南側に隣接する地域であった。

 その広さは、1反5畝8歩(約450坪)とされ、周囲は、南側を土塀とし、束と北側には棚を巡らしている。中に入ると正面に番屋があり、上番所・改所(取調所)・下番所などがある。改所には御道具置場があり、そこには、鉄砲などいわゆる関所の七ツ道具が揃えられている。門は東・北の2門があり、いずれも冠木門であった。関所は堂々とした構えであった。

 関所番は、当初沼田藩の郷士4人、足軽格2人、下番役の百姓2人がいたが、天和元年(1681)真田氏改易後は、鎌原氏など旧沼田藩士などの4人と、下番の大笹村の百姓2人がおりこれが交代で勤務し、明治元年の廃関まで続いた。

 江戸時代には街道の要所に、行政上・軍事上の目的から関所を設け通交人を取り締まった。上野国は全国的にも関所の数が最も多かった所とされる。そうした中にあって、大笹関所は、江戸と信州を結ぶ人馬取締りの目的で設置されたものであるが、『諸国御関所書付』の「上野国所在関所一覧」によると、碓氷関所など6か所の重要な関所の1つとされている。

松島榮治先生の講義録より