お屋敷公園

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お屋敷公園


真田幸隆の嫡男・信綱が天正年間(1573−92)に築いたといわれますが、それ以前に幸隆が居住していたとも言われます。

 天文十(1541)年、武田信虎(信玄の父親)、諏訪頼重、村上義清は連合して海野平に侵攻し、滋野一族の頭領であった海野棟綱と真田幸隆らは、上州吾妻の羽尾幸全を頼りました。棟綱、幸隆らはその身柄を長野業政に預けられ、箕輪城内の一角で居住しましたが、天文十年代に幸隆は、武田信虎を駿河に追って甲斐国主となった武田晴信(信玄)に仕官しました。

 幸隆は「信州先方衆」として、佐久・小県・北信濃の血縁者をはじめとした在地土豪の懐柔に勤め、信玄の信濃侵攻を助けました。天文十七(1548)年の上田原合戦にも従軍し、天文十九(1550)年の戸石城攻撃に際しては、事前に信玄より諏訪および旧領の小県の所領を約束されました。

 この時は武田軍は退き陣に際し村上義清軍の追撃を受けて大敗しましたが、翌天文二十(1551)年、幸隆は独力で戸石城を乗っ取り、小県周辺の旧領を回復し、戸石城を預けられました。真田氏館はこの頃から、幸隆が没する天正二(1574)年までの間に、平素の居館として構築されたと推定されます。

 幸隆の死後は信綱が跡を嗣ぎましたが、天正三(1575)年、長篠・設楽ヶ原の合戦で信綱・昌輝兄弟は織田信長・徳川家康連合軍に破れ、幸隆の三男(真田昌幸)が真田家を相続しました。天正十(1582)年三月に武田氏が滅亡し、昌幸は織田(滝川一益)、北条氏政、上杉景勝、徳川家康と四回主人を代えました。

 天正十一(1583)年に真田昌幸が上田城を築城開始し、天正十三(1585)年に移りました。真田氏館は廃されましたが、現在敷地に建つ皇大神宮は、昌幸が居を移すにあたり、旧館敷地の荒廃を防ぐために勧進したものだと伝えられます。



 この真田氏居館は通称「お屋敷」と呼ばれ、幸隆、信綱、昌幸らが居住していた平素の館であったと言われています。土塁、門などがよく残り、曲輪の中には真田昌幸が上田城を築城した際に勧進したといわれる皇大神宮が建っています。