はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
松島榮治先生の論文集

■はじめに
■今井東平遺跡の調査とその成果
 @黒色磨研注口土器
 A敷石住居跡

■修験道関係資料の調査
 @万座温泉の“礫石経”
 A華童子宮跡
 B三原出土の経筒
 C今宮白山権現
 D熊野神社の奥ノ院

■埋没村落「鎌原村」の調査
 @埋没した鎌原村
 A鎌原村の発掘
 B発掘調査の成果

■峠を越えての文化の流入
 @縄文文化繁栄の背景
 A修験道隆盛の背景
 B鎌原村の生活文化の背景

■おわりに

修験道関係資料の調査

 三原の下屋家には、南北朝期を含む室町時代の古文書が17通もある。それらは、日本固有の山岳信仰と仏教(密教)の教えが混ざりあって成立した修験道関係のものである。その多くは「旦那譲状」とされるもので、宗主家である下屋氏が所有する檀家(宗徒)の一部を、分族に譲渡すると言うものである。

 当時の社会にあっては、旦那職は1つの大きな収入源であって、武士が土地と人民を占有するのと同じ価値があった。北信濃の名族とされる海野氏の後喬とされる下屋氏は、この地にあって修験道の総本家として、分族にその旦那の権利を譲ってなお、一族の頂点に立って総合的な支配権を掌握していたのである。

 こうした嬬恋の地の政治・宗教的社会を反映して、この地には修験道関係の遺跡・遺物が知られていたが、昨今その調査も進展し、新たな成果がみられている。その2・3について紹介することとする。