はじめに 発掘記録 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然1

001.鵺ぬえの声を聞く
002.象のいた村
003.赤米の栽培
004.明礬の稼ぎ
005.ヒデのあかり
006.消えた浅間大明神
007.馬鈴薯の栽培
008.熊野神社の大杉
009.硫黄の採掘
010.黒色磨研の注口土器
011.大笹関所
012.三原出土の経筒
013.シナ科のサユミ
014.高原の“舞姫”
015.石戈の発見
016.嬬恋駅周辺のにぎわい
017.鹿のいる風景
018.郷土料理“クロコ”
019「大笹の湯」引湯跡
020.天狗の麦飯
021.鎌原の郷倉ごうぐら
022.炭を焼く
023.山の呼び名
024.今井の宝篋印塔
025.門貝の熊野神社
026.袋倉の廻国供養碑
027.浅間嶽下奇談

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002.象のいた村

 昭和37年、当時信州大学の学生であった小林将喜さんは、吾妻川上流地域に地質の調査に入った。たまたま大笹地区の吾妻川左岸、泉沢との合流点から40メートル上流、河床から高さ3メートルの露頭で、砂礫層の中に、風化した5枚の咬板が残存する大型獣の臼歯化石の一部を発見した。

 発見された臼歯化石は、当初約30万年前から2万年頃前まで生息していたナウマンゾウの臼歯化石と報告された。しかし、その後、日本歯科大学の高橋啓一先生などの再検討によって、化石はゾウ亜科の上顎の第2あるいは第3大臼歯であり、エナメル厚および咬板頻度から、ナウマンゾウより古い時代に生息していたシガゾウに近似しているとされた。また、化石の発見された地層は、湖底堆積物層の下部に位置する、泥流堆積物からの出土であることも明かとなった。

 更新世(洪積世)の昔、吾妻川は今と違って、北から南に向かって流れていた。ところが、その流路に火山活動が起こり、浅間山付近が隆起した。このため、川がせき止められてしまった。その結果、大前を中心にして、東西12キロ、南北少なくとも9キロにわたる大きな湖ができたとされる。この湖を地質学者は“古嬬恋湖”と呼んでいる。

 嬬恋村に古ゾウが生息していたのは、こうした湖のできる直前、比較的平坦な地形に小規模の水たまりが点在する時であった。また、その頃の植生は、花粉化石の検討結果から、ゴヨウマツ・ツガ・トウヒなどの針葉樹が多く、山地帯上部の植生に近い事がわかり、現在よりやや冷涼な気候であった事も判明した。

 あちこちに小規模の水たまりが点在し、周囲にはマツやツガの森林が茂り、その中にときおりゾウが見え隠れする。遠古の嬬恋村の姿である。