はじめに 発掘記録 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然1

001.鵺ぬえの声を聞く
002.象のいた村
003.赤米の栽培
004.明礬の稼ぎ
005.ヒデのあかり
006.消えた浅間大明神
007.馬鈴薯の栽培
008.熊野神社の大杉
009.硫黄の採掘
010.黒色磨研の注口土器
011.大笹関所
012.三原出土の経筒
013.シナ科のサユミ
014.高原の“舞姫”
015.石戈の発見
016.嬬恋駅周辺のにぎわい
017.鹿のいる風景
018.郷土料理“クロコ”
019「大笹の湯」引湯跡
020.天狗の麦飯
021.鎌原の郷倉ごうぐら
022.炭を焼く
023.山の呼び名
024.今井の宝篋印塔
025.門貝の熊野神社
026.袋倉の廻国供養碑
027.浅間嶽下奇談

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011.大笹関所

 上野国から北信濃国を経て越後国へ向かうルートは、古来より幾筋かあったが、その中で、鳥居峠を越えるいわゆる信州街道は、その代表的なものであった。特に戦国時代以降は、真田氏による北毛支配の体制が整うと、その戦略ルートとして、また、経済発展に伴う物資の交流あるいは草津温泉へのルートとして人馬の往来が多かった。

 この道筋にあたる大笹には、以前から沼田藩の私設の番所があったが、今から330余年前の寛文2年(1662)、沼田藩主真田伊賀守は、幕府の許可を得て関所を開設した。その場所は、大笹宿の西端、鹿籠川の断崖に臨んだ場所で、現在「史跡大笹関所跡」とされる所ではない。その対岸の国道南側に隣接する地域であった。

 その広さは、1反5畝8歩(約450坪)とされ、周囲は、南側を土塀とし、束と北側には棚を巡らしている。中に入ると正面に番屋があり、上番所・改所(取調所)・下番所などがある。改所には御道具置場があり、そこには、鉄砲などいわゆる関所の七ツ道具が揃えられている。門は東・北の2門があり、いずれも冠木門であった。関所は堂々とした構えであった。

 関所番は、当初沼田藩の郷士4人、足軽格2人、下番役の百姓2人がいたが、天和元年(1681)真田氏改易後は、鎌原氏など旧沼田藩士などの4人と、下番の大笹村の百姓2人がおりこれが交代で勤務し、明治元年の廃関まで続いた。

 江戸時代には街道の要所に、行政上・軍事上の目的から関所を設け通交人を取り締まった。上野国は全国的にも関所の数が最も多かった所とされる。そうした中にあって、大笹関所は、江戸と信州を結ぶ人馬取締りの目的で設置されたものであるが、『諸国御関所書付』の「上野国所在関所一覧」によると、碓氷関所など6か所の重要な関所の1つとされている。