はじめに 発掘記録 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然1

001.鵺ぬえの声を聞く
002.象のいた村
003.赤米の栽培
004.明礬の稼ぎ
005.ヒデのあかり
006.消えた浅間大明神
007.馬鈴薯の栽培
008.熊野神社の大杉
009.硫黄の採掘
010.黒色磨研の注口土器
011.大笹関所
012.三原出土の経筒
013.シナ科のサユミ
014.高原の“舞姫”
015.石戈の発見
016.嬬恋駅周辺のにぎわい
017.鹿のいる風景
018.郷土料理“クロコ”
019「大笹の湯」引湯跡
020.天狗の麦飯
021.鎌原の郷倉ごうぐら
022.炭を焼く
023.山の呼び名
024.今井の宝篋印塔
025.門貝の熊野神社
026.袋倉の廻国供養碑
027.浅間嶽下奇談

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012.三原出土の経筒

 明治44年、三原の黒岩順さんの祖父繁太郎氏は、同所上ノ山の畑地で、浅間石で作られた高さ約30センチの筒形の保護容器に収められた経筒を発見した。経筒は、銅板製鍍金の円筒形で、底は平底、蓋は無紐の被蓋式盛蓋(かぶせふたしきもりぶた)で、総高は10.5センチ、口径4.5センチである。発見の当初には経巻の残塊があったと伝えている。

筒身には、

 十羅刹女 越前州平泉寺
 奉納大乗妙典六十六部聖
 三十番神 享禄三天今月日
         弘朝之

の刻文がある。

 その意味は享禄3年(1530)越前国(福井県)の弘朝とされる遊行的性格をもつ仏教の民間布教者(聖)が、法華経(大乗妙典)66部を書写して奉納したとのことである。なお、十羅刹女(じゅうらせつにょ)・三十番神とは、法華経あるいはこれを受持する者の守護神のことである。

 仏教の予言説である末法思想における危機感から、仏教教典を弥勒出世の世まで伝え残すことを目的として、書写した教典を土中に埋納した遺跡を経塚と言う。しかし、この教典の埋納は、鎌倉末期以降、本来の目的からは逸脱し、現世利益などの祈願のための埋納に変容する。

 今を去る460余年前、三原の上ノ山に経塚が造られ、そこに書写された法華経が、経筒に入れられ納められたことは確かである。しかし、奉納を依頼したものが誰であったか、また、その意図が何であったかは必ずしも明らかでない。おそらく、戦国の騒乱の世に、三原の地に勢力を張った武将が現世利益、追善供養のために行ったものであろう。高さ僅か10センチ程の瀟洒な経筒に、戦国時代における嬬恋村の様子を垣間見ることができるのである。

 この経筒は、現在常林寺に大切に保管され、嬬恋村の重要文化財に指定されている。