はじめに 発掘誌 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然2

028.産馬の業
029.浅間山溶岩樹型
030.大笹駅浅間碑
031.万座温泉事始め
032.風土博物館の構想
033.小串鉱山探訪の記
034.中居屋重兵衛
035.鹿沢温泉繁盛記
036.鬼押出しの溶岩流
037.湯の丸レンゲツツジ群落
038.盛だった村芝居
039.無量院の五輪塔
040.抜け道の碑
041.華童子げどうじの宮跡
042.歴史の道「毛無道」
043.円通殿
044.今宮白山権現のこと
045.芭蕉の句碑
046.今井東平遺跡出土の土偶
047.延命寺の碑
048.田代地区の両墓制
049.ホタルのひかり
050.『片栗粉』の商標
051.帰ってきた小仏像
052.万座温泉の『礫石経』
053.東平遺跡の敷石住居跡
054.浅間山について

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037.湯の丸レンゲツツジ群落

 レンゲツツジは、低山帯上部から亜高山帯に生育する落葉低木で、北海道西南部以南、本州・四国・九州の山地に広く分布する。群馬県では、湯の丸山・浅間高原・武尊牧場・赤城山・そして榛名山などに群生地があり、6月の中・下旬にはオレンジ色の花を一斉に咲かせ、県民に親しまれている。このため昭和26年には、群馬県の県花に指定されている。

 湯の丸山のレンゲツツジは、旧鹿沢温泉から角間峠、同じく地蔵峠への道に挾まれた、湯の丸山(2105メートル)の北東斜面に、約357ヘクタールにわたって大群落を形成していた。その数は、40万株とも言われ、群馬県では勿論全国的にも稀にみる大群落とされる。また、標高度の限界にあることなどから、昭和31年には国指定の天然記念物となっている。

 この群生地は、元々カラマツやミズナラなどの原生林であったものが、伐採され放牧が行われたことによって成立したものと考えられている。すなわち、明治37年長野県東部町の牧野組合が、ここに牧場を開設した。以来、200頭もの牛が放牧され、ピーク時には300頭にも達した。このため牛は毒性のあるツツジを避けて、ツツジの生育を阻害するズミやカラマッの幼木、雑草などを食べてツツジの群落を育てたとされる。

 ところで、近年における畜産業の衰退は、放牧頭数の減少を招き、遂には牧場は廃止されてしまった。これによって、牛を仲介としたツツジと他の植物との良好なバランスは崩れ、今や現存するツツジは推定20万株に減少し、密生地はコンコン平と、角間峠など西か所に分散する程になってしまった。

 このため、嬬恋村教育委員会では保護事業を開始し、東部町の協力もあって、40頭前後の牛を確保して放牧を継続する一方、文化庁や群馬県の補助を受けて、コンコン平などの密生地を中心に、ツツジの生育を阻害するズミやカラマッなどの伐採を行い、かつての優れた植生の復元に努めている。