はじめに 発掘誌 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然2

028.産馬の業
029.浅間山溶岩樹型
030.大笹駅浅間碑
031.万座温泉事始め
032.風土博物館の構想
033.小串鉱山探訪の記
034.中居屋重兵衛
035.鹿沢温泉繁盛記
036.鬼押出しの溶岩流
037.湯の丸レンゲツツジ群落
038.盛だった村芝居
039.無量院の五輪塔
040.抜け道の碑
041.華童子げどうじの宮跡
042.歴史の道「毛無道」
043.円通殿
044.今宮白山権現のこと
045.芭蕉の句碑
046.今井東平遺跡出土の土偶
047.延命寺の碑
048.田代地区の両墓制
049.ホタルのひかり
050.『片栗粉』の商標
051.帰ってきた小仏像
052.万座温泉の『礫石経』
053.東平遺跡の敷石住居跡
054.浅間山について

■サイトマップ
■リンク
■トップページへ戻る

041.華童子(げどうじ)の宮跡

 古く吾妻山(四阿山)は、我が国固有の宗教である神道と仏教(密教)との融合によって成立した“修験道”の霊山であった。その参道は、鳥居峠から上信国境を尾根伝いに辿る道が本道であった。その険しい参道を、峠から4キロ程登った標高約1800メートル地点に、朽ち果てた宮跡がある。“華童子”の宮跡である。

 華童子について、文禄5年(1596)の『吾妻山宮修理』の屏書には「蓮華童子院別当良叶(れんげどうじいんべっとうりょうきょう)」の墨書があるど言う。従って、詳しくは蓮華童子の事であろう。そして、童子とは如来(釈迦)の王子または一番弟子に当たる菩薩の別名であり、また、菩薩や明王の一族とされるものでもある。したがって童子こと蓮華童子とは、菩薩又は明王級の仏(仏像)ということになる。

 ところで、密教では金剛童子を本尊として祀り、疾病・除災.安産などのために祈濤(きとう)する修法があった。このようなことからすると、多分、吾妻山の華童子の宮には蓮華童子を本尊として祭り、御師とされる神職又は社僧や行者がおり、加持祈禧などの宗教活動が行われていたものと思われる。

 霊山吾妻山山頂に“白山権現”か勧請されたのは『吾妻山縁起』によれば「養老2年(718)」とされる。しかし、それは確かなことではない。おそらく、修験道が宗教として確立した中世以降のことであろう。

 山頂に白山権現が勧請され霊山としての信仰が高まると、山頂の奥宮に対して山麓には早宮が設けられるようになるが、その奥宮と里宮の間には“中社”が必要となる。華童子の宮は、おそらくその中社的な存在であったであろう。

 過日、資料館横沢貴博主査とその華童子の宮を訪ねた。そこには、幅1、2メートル高さ90センチ程の石塁に囲まれた宮跡や灯籠・石柱などがその残骸を曝していた。厳しい自然環境の中にかつてこの施設が霊山吾妻山信仰の本拠地であったことを物語っている。