はじめに 発掘誌 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然2

028.産馬の業
029.浅間山溶岩樹型
030.大笹駅浅間碑
031.万座温泉事始め
032.風土博物館の構想
033.小串鉱山探訪の記
034.中居屋重兵衛
035.鹿沢温泉繁盛記
036.鬼押出しの溶岩流
037.湯の丸レンゲツツジ群落
038.盛だった村芝居
039.無量院の五輪塔
040.抜け道の碑
041.華童子げどうじの宮跡
042.歴史の道「毛無道」
043.円通殿
044.今宮白山権現のこと
045.芭蕉の句碑
046.今井東平遺跡出土の土偶
047.延命寺の碑
048.田代地区の両墓制
049.ホタルのひかり
050.『片栗粉』の商標
051.帰ってきた小仏像
052.万座温泉の『礫石経』
053.東平遺跡の敷石住居跡
054.浅間山について

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043.円通殿のこと

 干俣小学校の北西に隣接して円通殿は建つ。正面は3間、側面は変則的3間の方形造りの小型仏寺建築である。屋根はかつて茅葺きであったが今は銅板を被せている。軒は2軒で下の軒は扇垂きとなっている。正面には唐風の破風のついた向拝がある。長押と桁との間の柱の上には枡形の組み物を用い、中備(なかぞなえ)に蟇股(かえるまた)を入れている。木鼻・海老虹梁には簡素な彫刻を用い、彩色も施されている。

 殿内の奥壁に寄せて須弥壇(しゅみだん)が設置されているが、それは3分割され、それぞれに禅宗様の意匠である花頭窓状(かとうまどじょう)の枠で仕切られ諸仏が安置されている。本尊は薬師如来とされている。

 ところで、古老の伝えるところによると、円通殿に隣接する教員住宅の辺りに、常林寺の先住旭邦本輝(きょくほうほんき)和尚が閑居した庵(寮)が在ったとされる。記すまでもなく庵とは僧侶の閑居する仏教的施設である。

 この庵に居住した僧侶には、禅師旭邦本輝和尚をはじめ『浅間大変覚書』の著者と目される雪山唄牛(せつざんばいぎゅう)和尚など著名な僧侶達がいる。この事からここに庵が創立され存続していたのは、18世紀の中頃から19世紀の後半にまで及んだらしい。そして、その名称は”日々庵”と考えられる。

 なお、この庵の創立については、現在円通殿に残る干川小兵衛が奉納した位牌に、「此寮建立一切世話致し、並びに金十両寄,付…」とあり、干俣村の分限者であり、しかも、名主を勤めた小兵衛が係わっていたこともわかる。

 通常、寺院に関係する建物には堂と殿とがある。古くから在った宗派では堂を使った。観音堂とか阿弥陀堂などがそれである。これに対し、禅宗(臨済・曹洞宗)などでは、本尊を祀る建物を仏殿と言う様に殿を多用した。

 円通殿は小型ではあるが構造・技法・意匠・名称共に、禅宗様(唐様)の影響を色濃く残したもので、日々庵に所属した仏殿と見られる。そしてそれは、この山里に禅宗風の文化が開花した事を示すと共に、これが信仰と文化の拠点で在った事を物語っている。