はじめに 発掘誌 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然2

028.産馬の業
029.浅間山溶岩樹型
030.大笹駅浅間碑
031.万座温泉事始め
032.風土博物館の構想
033.小串鉱山探訪の記
034.中居屋重兵衛
035.鹿沢温泉繁盛記
036.鬼押出しの溶岩流
037.湯の丸レンゲツツジ群落
038.盛だった村芝居
039.無量院の五輪塔
040.抜け道の碑
041.華童子げどうじの宮跡
042.歴史の道「毛無道」
043.円通殿
044.今宮白山権現のこと
045.芭蕉の句碑
046.今井東平遺跡出土の土偶
047.延命寺の碑
048.田代地区の両墓制
049.ホタルのひかり
050.『片栗粉』の商標
051.帰ってきた小仏像
052.万座温泉の『礫石経』
053.東平遺跡の敷石住居跡
054.浅間山について

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053.東平遺跡の敷石住居跡

 群馬県指定重要文化財“黒色磨研注口土器”を出土させた『今井東平遺跡』の第8次発掘調査が、嬬恋村教育委員会の事業として10月10日に開始された。今回の発掘調査地域は、東平遺跡とされる低台地の南端、今井川に面した今井字峯657番地1の市村今朝雄氏所有の畑で実施された。

 東平遺跡は、今からおよそ4500年前から3500年前の縄文時代中期から後期にかけての遺跡地で、これまでの発掘調査によって台地の縁辺を中心に十数戸の住居跡が発見調査され、縄文時代の“ムラ”の存在が推定されている。今度の発掘調査では、住居跡などを確認しムラの存在などを立証すると共に、東平遺跡の性格を究明しようとするものであった。

 調査は順調に推移し非常に良好な状態で、珍しい敷石住居跡を発見した。発見された住居跡は、床面を鉄平石と言われる板状の安山岩の割り石で、その表面を隙間なく丁寧に敷きつめたもので、その形は六角形をなし一辺の長さは2.5メートル前後対角線では4.30メートルを計り、極めて図形的に構成されたものである。

 床面敷石の周囲、各角に寄せては柱穴があり、それらの柱穴の間には、補助的な柱穴や周壁の痕跡もみられる。出入口は東南方に設けられたものとみられるなど、上屋構造もある程度類推することができる。

 床面の中央部分には囲炉裏があり、その中には土器が埋め置かれている。囲炉裏に接して鉢形をした土器がある。他に巾着状の小型土器、磨製石斧、そして、砥石などが発見されている。

 これらのものからこの敷石住居跡は、今からおよそ3500年前(縄文時代後期初頭)のものとみられる。

 このような敷石住居跡は、縄文時代の住居としては特異なものとされ、主に関東地方西部や中部地方東部の山間地域に多くみられる。群馬県下では県指定史跡、高山村の「中山敷石住居跡」をはじめとして数十にのぼる発見がある。しかし、本東平遺跡の敷石住居跡は、そうしたものの中にあって、学術的に、また、文化財として、一段と精彩を放つものである。