はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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084.トックリ穴の洞窟

遺跡の中に“洞窟遺跡”と呼ばれるものがある。これまで群馬県で発見されている著名な洞窟遺跡には、利根郡月夜野町の「八束脛洞窟」、吾妻町の岩櫃山に所在する「鷹ノ巣洞窟」、中之条町沢渡の「有笠山洞窟」などがある。この内、鷹ノ巣洞窟の場合は、弥生時代の特殊な墓所、有笠山洞窟は、一時的な生活の跡と見られている。

嬬恋村には“トックリ穴”とされる洞窟遺跡がある、この遺跡を5月23日、地元の宮崎英夫さん、この辺りの山に詳しい上下水道課横沢信雄課長補佐の案内で、教育委員会黒岩則行係長、資料館の熊川紀世彦主任らで訪ねた。

遣跡は、干俣牧場の西方、トックリ沢とされる小流を渡った先、標高1370メートル前後の突出した小尾根の先端部、川床から、約20メートル登った南面する斜面に所在していた。

その規模・形状は、入り口が縦に長い合掌状で、その下幅は約1メートルと狭い。そこを入ると幅6.7、奥行き4.5、高さは約2.5メートルで、トックリと言うより巾着状を呈していた。

この洞窟は、昭和47年群馬大学史学研究室によって調査が実施され、床面にイノシシ・シカ・ムササビなビの骨の混じった灰層が確認され、その周囲に土器や石器の破片、鉄製品の破片も発見されている。

これらの出土品の中で特に注目されることは、弥生時代後期の“樽式土器”と、古墳時代初めの土器とされる“石田川式土器”の破片が認められていることである、そして、その樽式土器は、信州の弥生式土器の影響によって成立したものであり、一方、石田川式土器は、北関東の平坦地で成立し、その後、周囲の地域に波及したものとされることである。

水稲栽培を生活の基盤とする弥生時代、そして、それに続く古墳時代の土器片が、この山奥の、しかも洞窟の中で発見される意義は大きい。例え一時的にしろ、この洞窟が、当時の人々の生活に関わっていたことを示しているからである。
その理由は必ずしも明らかではない。しかし、発見される土器の性格からして、信州地域と関東の平担地との文化的交流が、この地を介して、すでに行われていたことは確かである。