はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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097.三間取りの民家



毛無道に沿った門貝地区鳴尾に集落が形成されたのは、熊野神社の”奥の院”に刻まれた銘により、鎌倉時代の文保3年(1319)の頃までさかのぼる。しかし、鳴尾集落に現存する民家は数軒しかない。その1軒が山口伯明さんの家である。山口さんの家は、建築後大きく4度改築されていると見られるが、その平面形や構造そして技法などからして、古い民家の面影を随所に残している。
山口伯明さん宅の間取りの原型は、桁行8間・梁行4間の規模を持ち、その平面形は「三間取型」とされる民家である。その形状は桁行の中央で東西に2分され、一方(東側)を土間とし、他の部分(西側)を床上部とする。トボー(入口)を入るとデードコ(土間)と言われる作業場があり、その東側にはウマヤ(馬屋)が2つ並ぶ。奥の方には、炊事・調理の場所があったらしい。
床上部は、土間よりにデーザ(出居座)と呼ばれる居間があり、その奥にヘヤ(座敷)がある。そして、デーザとヘヤの裏(北)側には、細長いナンド(納戸)とされる、県内では珍しい寝部屋がある。
屋根は寄棟造で、以前は萱葺きであったが、現在ではトタンを被せている。そして、その小屋組は軒が低く、元来は天井や床の間はなかったらしい。また、土間と床上との境の仕上げは、チョウナ(手斧)削りであり、柱間装置は閉鎖的である。
農家の間取りは、農作業や炊事に必要な土間を基本にして、それに居間や寝床などの床上が付け加えられ、その後、用途に応じて縦に横に部屋数が増し、その結果、東日本では“田の字型”とされる典型的な間取りが成立したとされる。
昭和48年の群馬県教育委員会による民俗調査によると、嬬恋村に残る近世の民家として、その間取りから二間取・三間取・喰違四間取、そして多間取の四型をあげている。このうち、三間取型の山口氏宅は、十八世紀の中頃に建築されたものとみられるが、随所に古い手法を残すなど、現存する民家の中で、門貝地区や嬬恋村の昔の生活を知る上で貴重な文化財である。