嬬恋郷土資料館 |
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嬬恋郷土資料館1F展示室 2F展示室 3F展示室 大惨事の説明 発掘の様子 天明3年の浅間山噴火による埋没した鎌原村から発掘された品々などを展示し、火山災害と生活文化の実態に迫る。天明3年の噴火の悲劇と、浅間山の美しい自然を見ることができます。また、嬬恋村所在の文化財を紹介しています。 キャベツの博物学キャベツの栽培法や流通、植物学や歴史から、栄養特性、料理法まで、キャベツの知られざる文化と科学を楽しく紹介している。ラビットさんのキッチン劇場では、キャベツの料理法を紹介しています。視聴覚室嬬恋村の自然と農業、天明3年浅間焼けなどを上映している。3F展示室雄大な景色を楽しめます。嬬恋の草花も紹介しています。 大惨事の説明天明3年、四月以来噴火を続けていた浅間山は、旧暦7月8日11時頃、にわかに大量の火砕流を噴出した。それが、山麓に流れ落ち土砂石を巻き込んだ火砕泥流となって、時速100km余りの猛スピードで鎌原村を襲い去った。火口から村まで五分時の速さで流され、人も馬も家も田畑も一瞬にして流され、窪地にあった村落は、火砕泥流に押し埋められてしまった。さらに火砕泥流は、吾妻川に流れ込み川沿いの村々を巻き込みながら利根川に合流して、最終的には前橋に流れ着いた。 この時代村人は、 『噴火というものは、空から降ってくる』 という考えをもっていたため、火砕泥流には無防備だった。家にいた477人の命は奪い去られ、高台の『観音堂』でひたすら「念彼観音名号」を唱えていた人々だけが助かった。 生き残った93人は付近の村々の温い援助支えられて、泥流に押し埋められた村を再建し今日を迎えている。鎌原火砕泥流のあと、最後に押した溶岩流が鬼押し出しの奇岩を固めた。その後、延命寺は村の菩提寺であり、複数の建築物からなる格式の高い寺院であることが判明した。 発掘の様子昭和50年、埋没家屋の屋根材・硯・水差し・小判などが、掘り出された。昭和54年、児玉幸多博士が、火山・自然・地質・考古など先生方と『浅間山麓埋没村落総合調査会』を組織し調査した。発掘した民家から生活用品が出土した場所から当時珍品だったガラス製の鏡・長脇差・銅製の印鑑・硫黄の塊と共に一体の遺骨などが発見され、観音堂の石段下からは折り重なった女性の遺体が、二体発見された。それは、天明の生死を分けた15段だった。観音堂と15段を登り切れた人だけが生き残った。この事実は全国に広く報道された。
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