鎌原観音堂

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鎌原観音堂

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 1783年(天明3)、7月8日の午前10時ごろに始まった爆発は、北麓へ高速の土石流を流し、鎌原村をはじめ多くの集落を破壊し埋没させました。この鎌原火砕流によって、火口から13kmほどの鎌原村では93軒全部が流失したのをはじめ、挿生田村(43軒)、南牧村(24軒)、大前村(81軒)、西久保村(40軒)、羽根尾村(63軒)の流失がありました。

 また、土石が吾妻川を埋めて鉄砲水となって流下し、下流域の村落にも被害が多くでて、日光例幣使街道の五料宿、柴宿辺でも人家の軒先まで泥に埋まりました。被害は55ヵ村に及び、流死人1624人、流失家屋1151軒となりました。
 この時の噴火による軽石は、高崎から伊勢崎、本庄方面にも及びん、軽井沢や碓氷峠では1.5メートル、本庄辺でも10センチ前後に達しました。また成層圏に達して長く滞留した火山灰によって日射量が減じたために天明の冷害(天明の飢饉)の一因ともなりました。

 鎌原村は、鎌原火砕流によって全て土石の下に埋まってしまい、447人の死者を出してしまいましたが、この観音堂に避難した93人は奇跡的に助かりました。以来疫よけ観音として人々から篤く信仰されています。観音堂は萱葺きの屋根で、なかなか歴史を感じる建物。すぐ隣にある家では、おじいさんおばあさんが4人くらいいて、何か作業をしていますが、話を聞けばいろいろ教えてくれそうな感じ。15段の階段のすぐ左には、お土産屋さんが何軒かあり、観音堂のエピソードが簡単に書かれています。

鎌原観音堂