浅間神社

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浅間神社

浅間神社

 浅間大明神遥拝の里宮で大山祇神、磐長姫神が祀られています。当社は流造りで室町時代の様相をよく残しています。海老虹梁・宝珠の彫りが大変見事で木鼻(象鼻)の出っぱりが室町時代(1394〜1427)の様式を残しています。南北佐久郡内では臼田町の新海神社東本殿に次いで古い建築の神社。現在、鞘堂に覆われています。明治二年、浅間山鳴動の際に明治天皇の勅祭が行われました。
 広い境内の奥に社殿があり、杉の大木、樅の木などが多く木暗い。秋になると境内には、たくさんの栗の実が落ちる。野生の栗の実は小さく、落ちたまま朽ちていく。木立を透かして浅間山が煙を白く雲のようになびかせている。煙のたつ山をみて、人々は怖れ、拝殿を造って山の神に祈った。




追分節発祥の地の石碑


 江戸初期 軽井沢は関東・信濃・北陸方面を結ぶ玄関口として重要視され、 中山道が整備改修されますと、 東海道と共に江戸と京都を結ぶ重要幹線として、 街道の様相も一変してきました。
 慶長9年(1604) 宿駅が制定され、 軽井沢・沓掛・追分の三宿が設けられ、 更に寛永12年(1635) 参勤交代制度と共に三宿は諸国の大名通過などで繁栄をきわめました。なかでも、 追分宿は中山道と北国街道の分岐点として栄えました。軽井沢は浅間根越の三宿として名高く かつ関東・上州方面への物資や旅客輸送の為、 東信一帯の中馬や馬子衆の一大集結となりました。かかる歴史的・地理的条件からして 必然的に労働歌的馬子唄が生まれる素地がありました。

 「碓氷峠の権現様は わしがためには 守り神」

 浅間山の自然や碓氷峠の熊野権現を、 馬子たちは自分の守り神として畏敬の念を持って歌っていました。その馬子唄に 軽井沢三宿の飯盛女達が、 一上り・三下り・本調子の三味線伴奏の手を工夫した元歌と思われる馬子唄時代の代表的な歌詞「わしがためには」の部分を諸客に対する語として「主のためには」と替えたり、 新作歌詞や囃子詞も付け「追分節」が完成されました。なかでも三下り調の追分節(馬子唄詞・座敷唄詞)は、 その主流となって諸国に広く伝承伝播され、 特に関東以北では 新潟県の越後三下り(越後追分の母体)、 秋田県の本荘追分になり、 更に北海道に渡って 江差三下り(江差追分の母体)などに発展していったとされています。かかる点から「追分節」は諸国にある追分節の源泉といわれそれが今日の定説となっています。 「追分節発祥の地」


芭蕉の句碑

 浅間神社境内には、芭蕉の句碑があります。


 帰支飛寿石裳浅間能野分哉

 自然石に流麗な文字で刻まれています。「浅間おろし」と土地の人々が呼ぶ野分が吹きはじめた頃、芭蕉は「さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さはぎて」信濃に旅をしました。『更科紀行』に描かれる旅の終わりに、芭蕉は浅間神社に建てられている碑の句をよびました。
 江戸時代のはじめ貞享5年(1688)8月11日に美濃を立ち、8月5日更科につきました。名月を楽しんだ後、善光寺に詣で、浅間山麓を抜けて8月下旬には江戸に帰りました。この紀行文は「吹とばす」の句で終っていますが、碑に刻まれた「石も」は『更科紀行』では、「石は」となっています。碑がたてられたのは寛政5年(1793)です。芭蕉の百年忌に因んで、碑の建立とともに百韻巻き「暴風の巻」が編まれました。71名の100句が2つ折りの紙4枚8面に書かれています。


御影用水上堰下堰

 浅間神社と中山道を分けて流れる上堰は、神社の境内を取りまくように流れています。御影用水上堰です。沓掛の北、千ヶ滝から取水して追分宿の中を流れ、御影新田村へと続いています。千ヶ滝から取水するところから千ヶ滝用水とも呼ばれています。
 かつて宿の中央を流れていましたが、時代の変化とともに宿の裏手を流れるようになりました。下堰は宿の約300メートルほど下方を流れ、湯川用水とも呼ばれています。星野温泉のあたりから湯川を分流して、追分の農地一帯を潤してきました。上・下堰ともに追分原で合流、御影新田へ流れこんでいます。この堰が造られることによって、畑しかなかったこのあたりにも田が作られるようになりました。


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