はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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096.三原三十四所観音札所



ここで言う三原とは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて在ったとされる“三原庄”とされる荘園名に因むもので、嬬恋村を中心とした吾妻郡西部一帯の地を指すものである。ここに、江戸時代「三原三十四所観音札所」が存在していたのである。
仏教では、仏を大きく分けて、如来・菩薩・明王・諸天とするが、菩薩の中で観世音に対する信仰は、古くから民衆の中に深く浸透していた。その観音には三十三体もの変化した姿があり、そうした変化観音の霊場を巡り、参詣した寺から証の札を交付して貰うことを札所巡礼と言った。その最も有名なものは西国三十三札所、続いて板東三十三札所であったが、これに影響されて上野国内でも十五カ所にのぼる観音札所が成立していた。
三原三十四所の札所は、長野原町の造道の聖観音から始まり、与喜屋・応桑の諸観音を経て、嬬恋村分の観音札所に至る。
以下、嬬恋村分の観音札所と、その札所に関わる御詠歌について紹介することとする。
七番芦生田准胝(じゅんでい)観音
〈あしうだもよしや浪速のことのはもただひとすじにたのむかんおん〉

八番鎌原十一面観音
〈かまはらや浮世のちりをかりすててこころのつきもくもりあらじな〉

九番干俣円通殿
〈のちの世をなげきてそでやしぼるらん今ほしまたときくぞうれしき〉

十番門貝(観音堂)
〈こころをばまろくもまろくいのるべしかどかいなればさわりあるべし〉

十一番大笹寺(観音堂)
〈あかばねやとびきしあとをたずねきておやのちぎりにここで大笹〉

十二番中居下屋
〈あらたかにここで仏にいわい堂むつのちまたの辻にまよわじ〉

十三番袋倉(向の原)
〈ひとすじに祈れば叶うふくろぐら未来はなほもたすけたまへや〉

十四番今井(今宮堂)
〈あらたかに今宮さまとおがむべし大悲のかげやくもりあらじな〉

この三原三十四所観音札所が、何時定められたかは明らかでないが、時に巡礼者が白装束の巡礼姿で、このコースを辿ったのであろう。